絵画

板絵僧形(そうぎょう)八幡(はちまん)神像(しんぞう) 1面(県指定文化財)

「本地(ほんち)垂迹説(すいじゃくせつ)」は伝来の仏と日本古来の神々との融和をはかるために説かれた思想です。八幡(やはた)神は日本古来の弓矢神・武神ですが、同説においては仏の阿弥陀如来が人々を救済するために、八幡大菩薩という仮の姿となって現れたとされます。その思想に基づいて、平安時代以降、多くの絵画や彫刻が現れましたが、これら一連の作品を「垂迹美術」と呼んでいます。
 当山所蔵の板絵僧形八幡神像は、寛(かん)正(しょう)2年(1461)に制作され、武田八幡宮の神前に奉納されたもので、県下には類がなく、全国的にも稀にみる貴重なものです。
裏面の銘は「帰命(きみょう)頂礼(ちょうらい)八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)尊像(そんぞう)武田(たけだ)御宝殿(ごほうでん)内(ない)奉(ずえ)図絵(あんち)安置(たてまつる)  当社(とうしゃ)務権(むごん)大僧都(だいそうず)法(ほう)眼(げん)和尚(わじょう)位(い)厳(ごん)延(えん)    寛正(かんしょう)二辛(かのと)巳(み)卯月(うづき)八日」とあります。厳延は当山第八世の住職です。

絹本著色十六善(ぜん)神(じん)像図 1幅(県指定文化財)

十六善神は「大般若経」の守護神といわれ、大般若経読誦の際には、必ずこの画幅を掲げることになっています。
 釈迦がある時、般若(真実の智慧・仏の智慧)について法を説いたところ、16人の神王が各々7千人の部下を引き連れて聴講に来ました。彼らは釈迦の教えに深く感動し、「今後、永久に、如何なる処においても、この般若経とこれを奉持する人々を守護する」と誓ったことに由来しています。

絹本著色釈迦(しゃか)涅槃図(ねはんず) 1幅(市指定文化財)

「涅槃」とは梵語(ぼんご)の「ニルバーナ」の音訳で、本来は「滅(めつ)」とか「寂滅(じゃくめつ)」ということですが、単に「なくなる」とか「死」ということではなく、一切の煩悩を滅するという意味です。
 40年にわたる教化を終えた釈迦は、80歳でクシナーラ城外、沙羅(さら)双樹(そうじゅ)の園で入滅しました。これを聞いた各地の弟子たち、釈迦の徳を慕う多くの人々、さらにはもろもろの動物までが馳せ参じましたが、その時の泣き悲しんでいる様子を描いたのが、この「釈迦涅槃図」です。
 画面には「寛文四暦初秋上旬  恵(けい)月(げつ)峯(ほう)東福寺門下自得(じとく)」と墨書銘があります。

絹本著色弘法大師像図 1幅(市指定文化財)

本図は高野山の御影堂に祀られている画像と同一の図柄です。原本は大師の弟子・真(しん)如(にょ)法(ほう)親王(しんのう)が描かれたもので、大師生前の姿を写したものと伝えられています。
 真如法親王は、平城(へいぜい)天皇の第3皇子で、嵯峨天皇の即位に際して皇太子に昇りましたが、弘仁2年(810)の薬子(くすこ)の乱によって廃せられ親王となり、同年出家して弘法大師の弟子になりました。
 当山の像図はもとは高野山の五明院の什物であったものですが、いつのころか何らかの理由で当山の所有となったものです。

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