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建築/史跡/天然

鐘楼 (県指定文化財)

本堂正面の東側の池畔にある簡素で古風の吹(ふき)放(はなち)式の重層建築です。平成6年から7年にかけて文化庁の指導により保存修理を行いました。四隅の柱は下層が八角柱とも見える大面(だいめん)取(とり)角柱、上層は円柱で、柱は直接自然石の礎石の上に立っています。総高は概測で約4.7m、桁行3.15m、梁間2.77m。
保存修理には、できる限り古材を使用して柱頭の斗拱(ときょう)や小屋組を当初の形式にしましたが、寄棟造(よせむねづくり)茅葺(かやぶき)だった屋根は、入母屋造(いりもやづくり)にして銅板葺に改め、軒を一軒(ひとのき)疎(まだら)垂木(だるき)に仕上げました。また、周囲の地表面の状態を勘案して、礎石は約50cm上げ周りに雨落石囲を設けました。
建立年代は資料が失われているために明確ではありません。『甲斐国志』には「建長三年辛亥(かのえい)十一月十九日大鐘ヲ鋳ル同年六年甲(きのえ)寅(とら)(1254)十一月三日鐘楼ヲ建立シ奉ル」とあります。天正10年(1582)、武田家滅亡の際、織田軍の焼き討ちに遭い堂塔伽藍がほとんど焼失した中で、ただ一つ残ったと言われる当山最古の建造物です。

本堂(大師堂)

天正10年(1582)の武田家滅亡の際に織田軍の兵火にかかり焼失しましたが、103年後の貞(じょう)享(きょう)2年(1685)に再建されました。建坪約55坪、入母屋造、妻入りに唐(から)破風(はふ)造の向拝を備えた豪壮な建物です。
弘法大師・不動明王・愛染明王の三尊が祀られ、その厨子は精緻華麗で桃山時代の制作を思わせます。

庫裡

天正10年(1582)の兵火により焼失した後、再建されましたが、文化8年(1811)再び焼失しました。その際、多くの古記録が失われました。現在の庫裡は文化15年、当山第三十一世・文教の代に再建されました。
仏間には本尊の阿弥陀如来をはじめとして、不動明王・愛染明王・虚空像菩薩等の密教の諸仏が奉祀されています。

二天門

単層の八脚門(実測39.6平方m)で、入母屋造、屋根は桟瓦(さんがわら)葺です。中央一間を通路として、桟(さん)唐戸(からど)をつけ、その両脇間を腰(こし)貫(ぬき)で仕切り、下部は金剛柵で囲み、上部の格子の正面には花頭(けとう)型の枠を取り付け、二天像(右に持国天、左に多門天)を祀っています。

稲荷社本殿・拝殿

境内の巽(たつみ)方に鎮座する当山の鎮守社で、その境内はかつては朱印地になっていた由緒ある社です。空海が嵯峨天皇より下賜された東寺の鎮守として、その巽方に奉祀した伏見稲荷大明神を、この寺の鎮守として勧請したものであると思われます。

勅使門

正面一間の棟門で庫裡の前門と奥庭の境にあるこの門は、いつのころからか、日蓮が来寺した際にこの門を開けなかったという伝説が生まれ、そのため「開かずの門」と呼ばれています。この門はもともと勅使(ちょくし)門(勅使が参向の時その出入りに使われる門)で、普段は開かないことになっているためそのような伝説が生まれたものと思われます。日蓮の来寺のことは史実には見当たりません。

閻魔堂

閻魔王は死後の世界で死者生前の罪を決める裁判官を司る王です。唐朝の末に成立した10王の中で最も権威ある王とされています。
当山の閻魔王は、宝永3年(1706)に作られ地蔵堂にお祀りされていましたが、お堂の老朽化により長い間、仮堂に安置されていました。現在の閻魔堂は平成3年に建立されました。格天井の板は旧北村稲荷社のものを使いましたが、格板の1枚ごとに当山第四十世・米仙の見事な書と絵が描かれています。

加賀美遠光公舘跡 (市指定史跡)

『甲斐国志』に承元2年(1208)には、加賀美遠経公が当山を遠光公の館跡に移し、伽藍を整備したことが記されています。
 大きな城が築かれる以前の武将の館は環壕(かんごう)住宅と呼ばれる形式のものが一般的でした。屋敷の周りに壕を掘り、その土を内側に積み上げた土塁を回らせるものです。当山の南側の川沿いにはその名残も見られますし、近年まで境内のほぼ中央に南北の掘りがありました。天明3年(1783)に発刊された『甲斐名勝志』の当山の項に「寺の後ろに築地掘(ついじぼり)の形残れり」とありますので、当山の北側にも堀の跡があったと思われます。
 古地図等を参照すると、館の面積は東西220m、南北170mで37,400平方m(11,300坪)くらいの規模であったと推定されます。

大さるすべり (市指定天然記念物)

当山の庫裡東側、奥庭に枝を広げている大樹です。根回り約3m、地上から0.7mの幹囲は約3.2m。そこから2本の幹が東西に分かれていますが、ともに幹囲は1.8mあります。
2本の幹から枝分かれした枝は東西13m、南北10mにも達し、樹高は約15mです。

島池

二天門を入って左側にある池の中島は「島池」と呼ばれ、そこに掘られた井戸は「竜宮」に通じているという伝説があります。弘法大師がこの池で降雨の祈祷をしたところ、またたく間に雲を呼び雨を降らしたと伝えられています。それ以来、ひでりの時にこの水を汲んで雨乞いを行えば、その夜、龍が背中に明るい火を灯してこの井戸の上を横切り雨が降ったと伝わっています。そこから島池から湧き出る水は、「竜神水」と呼ばれています。

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